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「沖縄と連帯するつどい」のご案内

沖縄と連帯するつどい
内村千尋さんが語る
沖縄の心と怒り


と き: 10月3日(日)午後1時半受付 2時開始
ところ: 奈良県文化会館第二会議室(ナラーラで借りています)
参加費: 500円
共 催: 奈良県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(ナラーラ)
     平和・民主・革新の日本をめざす奈良の会(奈良革新懇)


 民主党政権は、8月31日沖縄県・米軍普天間基地の「移転先」として名護市辺野古沿岸部に建設する新基地に関する日米合同報告書を発表し、滑走路をV字型二本つくる「現行案」と滑走路を一本にするI案の両論を併記しています。これは基地のたらいまわしに反対する県民世論を無視した暴挙であり、大きな怒りが巻き起こっています。
 しかし、本土では沖縄県民に呼応した運動と世論は、まだ低調です。
内村千尋さんが前日(10月2日)御所九条の会の講演会に来県、3日奈良市内で講演していただきます。
 ぜひ参加していただきますようお願いします。
 奈良でも普天間基地無条件撤去の運動をすすめましょう。


内村千尋さん

手工芸作家 市民運動家 エッセイスト 瀬長亀次郎研究家 など、多彩な肩書を持ち活躍中です。
プロフィル
・1945年  疎開先の宮崎県で瀬長亀次郎・フミの次女として生まれる。
・1966年  沖縄国際大学国文科卒
・1967年~1988年  琉球大学生協に勤務
・2001年  父瀬長亀次郎の死後、200冊に及ぶ日記の整理を始める。
・2006年  『フミと亀次郎』出版
・2006年  「ピースアート.9」に出展と講演
・2007年  琉球新報社から瀬長亀次郎日記『不屈』第一部「獄中」を出版
・2007年  「非核奈良の会」主催「非核平和の集い」で講演
・2010年  『生きてさえいれば』姉瀬長瞳と共著出版

   
父の瀬長亀次郎さんの略歴
・1907年  豊見城村に生まれる。
・1927年  旧制第七高等学校理科甲類入学。
・1928年  社会運動を理由に同校を退学させられる。
・1931年  京浜地区で日本鋼管などの臨時工として働き、労働運動に参加。
・1946年  沖縄の「ウルマ新報」社長に就任。
・1947年  沖縄人民党の結成に参加。その後、書記長、委員長を歴任。土地闘争、島ぐるみのたたかいの先頭に立って米軍と真正面から対決。復帰運動を強力に推進。
・1952年  第一回立法院議員選挙で最高点当選をかちとる。
・1954年  米軍による沖縄人民党事件で懲役二年の刑をうけ、投獄される。
・1956年  出獄。沖縄市長に当選。
・1957年  米軍府令で那覇市長を追放され、被選挙権も剥奪される。この米軍の野蛮な弾圧に屈することなく、アイク訪中沖抗議闘争、キビ代闘争、主席公選要求、復帰協結成など県民とともにたたかう。
・1968年  1966年に「被選挙権剥奪規定」を撤廃させ、三大選挙で立法院議員に最高得票で当選。
・1968年  世界平和協議会より、平和の戦士に与えられるジョリオ・キューリー賞を受賞。
・1970年  国政参加選挙で衆議院議員に当選。以後1986年までに連続七期当選。
・1973年  沖縄人民党が日本共産党に合流。日本共産党第12回大会第1回中央委員会総会で日本共産党中央委員会幹部会副委員長に選出される。以後、1990年まで幹部会副委員長。
・1977年  日本共産党国会議員団総会会長となる。
・1990年  那覇市功労賞を受ける。日本共産党第19回大会で名誉幹部会委員として承認される。
・1992年  県功労賞を受ける。
・1994年  豊見城村の名誉村民に決まる。
・1999年  那覇市名誉市民の称号を受ける。
・2001年  逝去
                             (『瀬長亀次郎回想録』より作成)


母の瀬長フミさんの略歴
・1909年  佐敷村に生まれる。
・1927年  奈良市立高等女学校卒業。
・1936年  瀬長亀次郎と結婚。
・1937年  長女・瞳 誕生。
・1941年  次男・徹 誕生。
・1945年  次女・千尋 誕生(疎開先の宮崎県延岡市で)
・1946年  延岡市から沖縄に帰る。
・1951年  三女・小萩 誕生。
・1952年  雑貨店開業。
・1963年  「新日本婦人の会沖縄県本部」結成、初代会長に就任。
・1965年  那覇市会議員選挙で最高点当選。以後、1981年まで4期務める。
・1966年  雑貨店閉店。
・1982年  那覇市政功労賞を受ける。
・1985年  沖縄県母親大会連絡会結成、代表委員となる。
・2010年  逝去
               (『瀬長フミと亀次郎 届かなかった獄中への手紙』より作成)

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by naraala | 2010-09-11 09:59

30分学習 普天間基地問題

沖縄の米軍普天間基地問題で
鈴木康司さんの報告を聞きました

7月度の理事会の30分学習

 7月22日の奈良県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(ナラーラ)の理事会では、定例になっている30分学習で、会員の鈴木康司さんが、沖縄の米軍普天間基地問題について報告されました。
 鈴木さんは、別項の6項目のクイズを準備して、それへの参加者の回答を求めながら、米軍普天間基地問題について、その歴史も踏まえ、実態を明らかにされながら、説明されました。
 この学習を通じて、あらためて沖縄の米軍基地の位置づけと、県民の生々しい実態を深く知ることができ、良い勉強になりました。
 

6項目のクイズ
設問はつぎの6項目です。
 ①アメリカの海兵隊は、ソビエトと戦うためにつくられた軍隊である。
(A.イエス  B ノー)
 ②在沖縄海兵隊は、イラクやアフガニスタンで闘い、戦死者をだしたことがある?
(A.ある  B ない)
③那覇市に米軍基地はない?
(A.ある  B ない)
④日本の米軍・駐留「支援金」は、NATO各国(17)の支払う金額を超えている?
(A.超えている  B 越えていない)
⑤辺野古の町会(区)は、政府が各家庭に1億円くれたら、普天間基地の移設に“賛成”することを決議した
(A.イエス  B ノー)
⑥沖縄に米軍基地がある場合と、ない場合では、どちらが雇用と税収が多いか?
(A.在る場合  B ない場合)
さて、みなさんはどうお答えになるでしょうか。


クイズのこたえ 
鈴木さんの用意したこたえは、資料も含めてA4で14ページにわたるものですが、ここでは、こたえを要約して紹介することとします。

①の正解  B 
 アメリカの海兵隊がつくられたのは、1775年(日本はまだ江戸時代)で、イギリスの海兵隊をまねて結成された。当時は戦艦といっても帆船が主だったが、その艦内警備・艦隊戦の戦闘要員が任務だった。イギリスからの独立戦争では、船から船へ海賊よろしく乗り移って戦った。隊員は荒くれ者が多かった。
 アメリカの陸軍にも海軍にも属さないため、その後140年間ほどは“厄介者”という存在だった。
 現在、海兵隊は、3つの遠征軍で成り立っている。海兵隊は陸戦部隊とともに、独自の艦船、航空機の部隊ももっている。
 第一海兵遠征軍------司令部・米西海岸のカリフォルニア
 第二海兵遠征軍------司令部・米東海岸のノースカロライナ
 第三海兵遠征軍------司令部・日本の沖縄(異常!!)
           この部隊の戦闘機は山口の岩国を基地としている。
           戦闘機材などを載せる船は長崎県の佐世保が基地である。
           兵士が駐屯し訓練しているのは沖縄本島の中部、北部
 「海兵隊は“海外遠征部隊”であり、日本を守る任務は与えられていない」(国防長官の米議会での証言)。 

②の正解  A  
9・11同時テロの発生した2004年12月から2009年12月までの間に、約2万2千の兵士が沖縄からイラクやアフガニスタンに出撃している。年平均3千から4千人。2004年に数千人の市民を殺したイラクのファルージャへの総攻撃にも参加し、このとき20数名の戦死者を出している。
「沖縄の海兵隊は『抑止力』」というのは、妥当性を欠いている。

③の正解  A
 那覇市にも米陸軍の軍港がある。
 那覇市から国道58号線(米軍が占領時代につくった道路)を北へ進むと、浦添市、宜野湾市、北谷町、嘉手納町、読谷町と米軍基地が延々と続いている。
 浦添市には“牧港補給基地”、宜野湾市には“普天間飛行場”、北谷町には“キャンプ瑞慶覧(補給)”と“キャンプ桑江(病院と学校)”、嘉手納町には“嘉手納飛行場”、読谷町には“嘉手納弾薬庫”と、道路の左に右に、米軍基地が連なっている。高速道路を走っては、見れない光景である。嘉手納町は町の面積の83%を基地が占めており、残りの13%の土地に、1万4千人が住んでいる。
 東側の太平洋沿岸にも、金武町の60%、宜野座村の50%を米軍基地が占め、名護市にもキャンプ・シュワブなど、米軍基地と演習場がある。

④の正解  A
最近の資料がないが、2001年には、日本は「対米防衛援助」として、NATO
の3倍を出している。 NATOのなかでも、フランス、カナダは援助そのものをしていない。
 日本:約530億円    NATO:約170億円
 日本政府による米軍人・軍属の駐留費“肩代わり”金額は、国民一人当たり約1800万円になる。これは国民が収めた税金によるものである。 

⑤の正解  A
 名護市辺野古の区行政委員会は1億5千万円の生活保障などを要求している。
 2010年7月にも再決議している。
 前回の市長選では、賛成派、反対派が入り乱れて乱闘となった。放火・傷害事件も発生した。
 自治体財政を見ると、歳入に占める基地関係の収入が大きな比率をしめている。
 宜野座村:約40%  金武町:約30%  恩納村:約25%
 その他の町村も15%
 生活に必要な土地の大半を基地として奪われている自治体は、基地のない自治体と比べて失業率が高い。
 基地関係の振興策で資金が投入されるほど失業率が高まり、財政の基地依存度が増し、地域経済の自立が遅れるという矛盾が浮き彫りになっている。

⑥の正解  B
 「産業らしい産業がない沖縄では、基地は“雇用”と“金”が湧き出る“オアシス”であり、沖縄では“基地オアシス”なしでは生きていけない」という論法がまかり通っている。
 その根拠とされているのは、「基地があるから政府は巨額の振興予算を毎年投入し、市町村は“基地周辺対策”や“特別交付金”をもらうことができる。基地は県庁の職員数にも匹敵する9千人もの莫大な雇用を提供し、基地従業員に年間500億円を超える給与を保証し、4万人を超える基地内“住民”たちに毎年500億円もの消費支出と、米軍による100億円を超えるサービスを県内企業が受注している」というものである。
 しかし、ほんとうにそうなのだろうか。基地を返還された自治体では、基地の跡地を経済振興に使い、雇用も増え、税収も増えている。

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by naraala | 2010-09-08 17:26