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沖縄平和の旅

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戦争のむごさ、平和の大切さを痛感


——「沖縄平和の旅」に参加してーー  西浦宏親 
 
  
奈良県アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(ナラーラ・NARAALA)は、4月12日(土)から14日(月)までの3日間、「美ら海・美ら島・命どぅ宝 平和がいい 9条の大切さを実感する 沖縄の旅」にでかけました。1918年生まれの楠田三郎さんをふくめ12人が参加、かなり詰まった日程ではありましたが、全員元気で、予定したところを回ることができました。

「基地のなかに沖縄がある」を実感

嘉手納町の83%を占拠している巨大な米軍基地、それは在日米空軍第18航空団の基地で、F18戦闘機やP3C対潜哨戒機などが配備されています。土日は、ほとんど訓練はおこなわれていないと言われていました。ところが私たちが行ったのは土曜日でしたが、山口の米軍岩国基地から飛来した戦闘機が、轟音をたてて頭上を旋回し、基地に着陸するのに遭遇しました。目に見えているのは3分の1という基地の巨大さに、みんな目をうばわれました。まさに、「基地のなかに沖縄がある」ということをあらためて実感できた体験でした。嘉手納の町民が住んでいるのは、その基地にへばりつくような、わずか17%の土地なのです。

知恵しぼった不屈のたたかいに拍手

 そんな嘉手納の米空軍基地に隣接するやはり米軍の嘉手納弾薬庫の敷地内で、米軍に勝手に取り上げられた自分の土地にはいり、米軍に銃でいつ撃たれるかわからない危険、そして、土地には不発弾がごろごろしていて、いつ爆発するかわからない危険のなかで、豚舍を建て、さらに牛舎を建て、「戦争のためには一坪たりとも土地を使わせない」を信条にがんばり抜いている池原秀明さん(現在は日本共産党の沖縄市議)の、腹をすえ、知恵をしぼったたたかいぶりを直接お聞きしました。
イラクやアフガンにも、沖縄に基地を置く米軍の海兵隊などの部隊が派遣されています。まさに沖縄は、世界中どこにでも出撃できる、アメリカ本土以外では世界最大の米軍の「前進抑止」基地にされているのです。

腹をすえたたたかいぶりに、私たちも

宜野湾市には、その中心を米軍海兵隊輸送用のヘリコプターの普天間基地が占めています。そのヘリが墜落事故を起こした沖縄国際大学をはじめ16もの学校が基地にへばりつくようにしてあります。そのため、普天間基地を移設することで合意がなされているのですが、その移転先として白羽の矢を立てられているのが、名護市の辺野古です。交流、激励を兼ねて、訪問しました。具志堅さんに、基地建設反対の「命をまもる会」の11年におよぶたたかいの経過について、説明していただきました。ここでも、腹のすわった、不屈の、非暴力のねばりづよい住民のみなさんのたたかいぶりに感動しました。説明のあと、海岸のキャンプシュワブの境界線まで案内してもらいました。そこには有刺鉄線がはられているのですが、鉄線には昔のような「刺」ではなく、小さな「カミソリの刃」が植え付けられていました。その鉄線には、平和を願い、基地撤去を願う寄せ書きのハンカチなどの布切れが、くくりつけられていました。米軍は先日、それを焼いたのですが、すぐに復活。「さすがにその後は手出しをしてこない」と報告されました。現地だけでなく、この奈良でも、日本全国で、「平和をまもれ」「戦争反対」「米軍基地を撤去せよ」「憲法9条を守れ」の声を大にし、おおいに広めていくことが大事だと痛感しました。私たちもねばりづよく、不屈にがんばっていきたいと思いました。
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日本領土での唯一の地上戦のひどさ、むごさ

もう一つの強い印象は、太平洋戦争で唯一、日本の領土での地上戦がおこなわれた沖縄戦の悲惨な実態を、現地の人の話を聞き、遺品や写真などを目にすることで、追体験できたことです。
糸数アブチラガマに入り、沖縄県平和祈年資料館の展示を見学、さらに、ひめゆり平和記念資料館では、ひめゆり学徒隊の生き残りの方から、展示についての生身の声で説明をお聞きしたりして、沖縄戦のひどさ、むごさ、悲惨さを、あらためて体感することができました。そして、平和を守っていくたたかいの重要さを実感しました。
南城市玉城糸数にあるアブチラガマは、沖縄中部に上陸した圧倒的勢力の米軍の首里への侵攻にともない、日本軍は沖縄南部に撤退、それにともない南風原にあった陸軍病院の分院として利用されるようになった洞窟です。ひめゆり学徒隊もここに配属されたのですが、全長270メートルの壕内は、600人以上の負傷兵で埋め尽くされ、多くの死体もそのまま壕内に積まれており、死臭と糞尿の臭いなどが入り交じった、悲惨な状況だったと言われます。壕内に立って、当時の様子を想像すると、息も詰まるような感じをうけ、思わず両手を合わせて合掌しました。
沖縄県平和祈年資料館の展示を見、隣接する平和の礎に刻まれた無数の戦争による死没者の名前を見て、感無量でした。それでも、刻まれた礎には、韓国、台湾などから連れてこられ、労働させられていた人々、軍の慰安婦をさせられた人々の多くの名前は刻まれてはいないのです。そういう事実を知るにつけても、あらためて太平洋戦争とはなんだったのか、なんのための戦争だったのか、その戦争を引き起こし、日本とアジアの人民を犠牲にしたものの責任を問わずにはいられない気持ちになりました。
そして、平和を守っていくことの尊さ、戦争放棄、武器をもたないと定めた日本国憲法第九条を守り、世界に広めていくことの大切さ、それを脅かすものとのたたかいの決意を固めることができた旅でした。

旅の楽しみも味わえました
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観光では、再建された首里城、ジンベイザメやマンタが悠々と泳ぎ、イルカのショーもみられた沖縄美ら海水族館、夜は、沖縄の家庭料理に舌鼓をうち、最後の夜は、国際通りの賑やかなお店を見て回るなど、楽しいひとときもすごせました。

     

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by naraala | 2008-05-18 22:46